弱さを支えあいつつ生きるプロジェクトの同志という考え方
本物と上質を求める大人のためのアロマテラピーサロン「アロマテラピー&リラクセーション Shinoa」のブログにお越しいただきありがとうございます。
今日は、アロマテラピーと関係のない話です。
朝日新聞朝刊に「折々のことば」という鷲田清一氏(哲学者)のコーナーがあります。
先日取り上げられていた「ことば」は、
<弱さに向き合うことでしか掬いとれない、強靭な思考というものがある>
という中村佑子さんの言葉。
鷲田氏は、
(前略)
現代の都市は、幼児のみならず、病や不調を抱える人を押し出すような設え(しつらえ)になっている。
人は誰しも「他者に依存することが不可避な身体」をもち、その弱さを支えあいつつ生きるという同じプロジェクトに取り組む「同志」であるはずなのだと。
(後略)
「折々のことば」2972回 2024.1.18『朝日新聞』より抜粋
と書いておられ、私は共感しました。
自分が持っているものを持っていない人に差し出し、
自分が持っていないものを「ありがとう」と受け取る。
そこに、傲慢も卑屈もいらない。
「その弱さを支えあいつつ生きるという同じプロジェクトに取り組む同志」なのだから。
そんな世界で生きられたら、皆がもっと楽になれるのではないでしょうか。
私は、サロンへの通勤に、裁判所前を通ります。
一昨日は、京都アニメーション放火殺人事件の判決で、裁判所前には多くの報道関係者や傍聴の人が集まっていました。
この事件以外にも、北新地クリニック放火殺人事件、列車内無差別襲撃事件のように孤立、困窮した人の起こす事件が増えているように思います。
そして、自分自身を死に追いやる人も後を絶ちません。
行き過ぎた「自助」ということば。
生まれた境遇をあきらめるしかないという「親ガチャ」ということば。
「人の役に立ちたい」と言いつつ、「人の世話にはなりたくない」と考える自分。
違う。
誰もが強くなんて生きられない。
その弱さを支えあいつつ生きるという同じプロジェクトに取り組む同志に囲まれていると思えるような社会にどうすれば近づくことが出来るのだろうと、つらつらと考えています。