我が家の歴史とドレッサーと母への思い
本物と上質を求める大人のためのアロマテラピーサロン「アロマテラピー&リラクセーションShinoa」出野です。今日もブログへのご訪問ありがとうございます。
今日はアロマテラピーに関係ない話題です。
最初から美しくない画像で失礼します💦
こちら、我が家(自宅)のドレッサーです。
結婚時に購入したものなので、もう30年になります。
本体はしっかりしているのに、いつからかこのような白い汚れが付いて、拭いてもとれません。
どうしたものか悩んで、以前百貨店の家具売り場で勤務していた友人経由で家具の専門家に聞いてもらいました。
間もなく返ってきた答えは、「長い年月の間に、木地に化粧品の粉などの汚れが入り込んでいるのではないか」とのこと。
「硬く絞ったキメの細かい布で掻き出すように拭く」というアドバイスをもらったので、眼鏡拭きを活用してやってみました。
その後、植物油を塗り込んでみました。
綺麗になりました!
良かった!
本体はしっかりしているし、結婚のときに買ったものだし、亡き娘もこの鏡を愛用(前で踊っていた)していたので、思い出一杯。
買い替えるのにはしのびないと思っていたので、ホッとしました。
家具もお手入れしないといけないと知りました。
他人から見たら、古ぼけたモノでも、そこには自分だけの沢山の思い出がありますよね。
歳を重ねるとそういうことが本当に大事に思えます。
今の自分を作ってくれた人や出来事を、一緒に経験してきてくれたモノが傍にあることで心が落ち着きます。
思えば、私は、以前、実家に帰った時、我が家の歴史を刻んだモノたちを見て、母に、「汚い」「買い替えればいいのに」などと言ったものです。
祖母も父も母も亡くなって、今、空き家になった実家を整理しながらそれを反省し、自分を責めています。
亡き母にとって、凹んだお鍋ひとつにしても、この使いなれたお鍋なら、計量カップで水を計らずともお味噌汁の量がピッタリになるのかもしれない。
私の離乳食を煮た思い出の鍋だったかもしれない。
自分も周りのモノたちも一緒に年を取っていくのだ。
使い慣れたモノは、自分の体の延長でもあるのかもしれない。
古びたモノを汚いと言ったあるとき、「そんな風に言われると私が汚いと言われるように感じるわ」と母が言いました。
さすがにその時は私も反省したものです。
汚いというなら、まめに帰って自分が実家の掃除をすればいいのに、それをせずに偶に帰って、年老いた親に家が汚いと言うのは間違っています。
断捨離など、したければ自分だけですればいい。
そんな価値観で老いた親を傷つけるべきでない。
親が旅立った後のおびただしい荷物の処理が大変だとかいうけれど、育ててくれた親の恩を思うとそれくらいしても罰は当たらない。
偉そうに言う、自分の家はどれだけきれいなんだよ。
今はそう思います。
冬の間休止している空き家になった実家の片付け。
来月から再開し、荷物を片付けながら、そこで育った自分と家族の歴史を感じ感謝を捧げるつもりです。
ドレッサーを磨きながら、そんなことを思いました。
明日は母の命日です。