ファーム富田に愛をこめて
本物と上質を求める大人のためのアロマテラピーサロン「アロマテラピー&リラクセーション Shinoa」のブログにお越しいただきありがとうございます。
今回の北海道旅行の一番の目的は富良野のラベンダーでした。
富良野には、沢山のラベンダー畑があります。
そればかりか、家々や商店の花壇、電柱の根元にあるちょっとしたスペースなんかにも沢山のラベンダーが植えられていて、街中がラベンダーの香りに包まれます。
私は28年間、大学で勤務していたので、休暇が取れるのは8月に入ってからでした。
退職・独立開業して、大地も風も一面にラベンダー色に染まる7月に富良野に行った時の感動は今でも覚えています。
中でも、ラベンダー畑の聖地は、なんといっても「ファーム富田」です。
以下、「ファーム富田」物語。
私の「ファーム富田」愛をこめてご紹介いたします💕
曽田香料の創始者・曽田政治氏がフランスよりラベンダーの種5kgを入手し、日本各地で試験的に栽培を始めたのは1937年のことだったといいます。
試験栽培を経て、1952年中富良野でラベンダー栽培が始まります。
曽田香料が天然香料の国際化に強い意欲を示したため、農家は曽田香料との契約栽培をおこなうことで、安定的な収入を確保することができ、その栽培は北海道に急速に広まったのです。
農家の青年だった富田忠雄氏も、ラベンダーに強く心惹かれ、1958年から栽培を始めました。
1970年には、道内の栽培面積235ヘクタール、エッセンシャルオイル生産量は5トンに達したといいます。
しかしながら、海外からの安価な天然香料の輸入量の増大、さらに安価な合成香料の多用により、北海道のラベンダー生産は大きな打撃を受けるに至ります。そして、1973年、曽田香料が農家に買い取りの停止を通告したのです。
苦境の中、1975年にはとうとう富田氏はラベンダー栽培をあきらめ、精魂込めて育てたラベンダー畑をつぶすため、畑にトラクターを乗り入れた。しかし、トラクターにつぶされながら、訴えるように強くにおい立つラベンダーに、富田氏は4メートルでトラクターを止めてしまいました。
家計収入の行き詰まりの中、苦しい日々を送っていた富田氏にあるとき転換期がやってきます。
1976年、国鉄のカレンダーに美しい紫のラベンダー畑と十勝岳の写真が使われて一大ブームになり、全国から、カメラマンが殺到したのです。
富田氏は、ラベンダーを、昔のように香料会社に売るのではなく、自身で、大変な努力のもと、化粧品製造業の資格をえて製品化することにしました。そして、ラベンダーのオイルの品質も高く評価され、国際的な品評会で一位を獲得するにいたります。
また、1990年大半ばには、アロマテラピーブームがあり、ラベンダーの知名度も一気に上がってきました。
富田氏は、2015年に84歳で亡くなるまで、自分を一農夫だと言われました。
入場無料の畑には、今は驚くばかりの人が押しかけて、ラベンダーの香りや色を楽しんでいます。
そして、富良野はラベンダーの町として広く知られるようになりました。
私が印象深く覚えているのが、6年前に「ラベンダー祭」の日に富良野を訪れた日のこと。
たくさんの子供たちや地元の人が来られていて、
「この日は、地元の人にとって何より楽しみな日なんですよ。
子供は指折り数えて待っていて、年に一度、道路が渋滞するんです。」
と教わりました。
一時はラベンダー栽培を諦めかけた富良野は富田氏の熱い心により、ラベンダーの町として発展し、町の人の誇りともなっているのです。
↑ラベンダー畑に抱かれる至福の私!